7/13/2011

繊細への道 ~一先ず何処へでも行ってみたらいい編


この時期、カーブを教えてくれたり、
そこでサポートしてくれたり、
曲がった先でやることをみつけてくれたりする人が
何人もいる感じがします。
その人達は優しくて、好意的で、かつ、
貴方に対して真剣な思いやニーズを抱えているように見えます。
人生には、ひとりぼっちで曲がるカーブもあれば、
色々な人に出会いながら曲がる交差点もあると思います。
今貴方が直面しているのは
後者だろうという気がするのです。~ 2011/07/11-07/17 山羊座の空模様  

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日頃、人は自分の体についてどれ程意識するのだろうか?とよく思う。
体と言うくくりは非常にまだがさつな括りだ。
右足の小指を動かしてみようとか、足の内側の筋肉をちょっとだけ内側にとか、
そういう微妙な作業はやってみても期待した感覚を得ることが難しいかもしれない。
初めの動きはホントにがさつそのものでも、繰り返し続けると小さいことに目が届くようになると思う。
そして、ああーコレこそが私の小指です。
といえるようになるのではないだろうか?

アシュタンガヨガの言う、
繰り返す、練習、継続。
はここにたどり着くための練習そのものなのではないかと。
からだは粘土みたいだ。
毎日、よく捏ねると非常に質のよい柔らかさが出てくる。


なぜ、あんなに自由自在に足を広げたり、持ち上げたりできるのだろう?
と思うけれどそれは毎日捏ねて、足や手が自分の物になっているからなんだろう。
がさつな体がなんだか自分の物になり始めたら、
それは繊細への旅の始まりなんだ。


それはヨガだけではなく、
体を日頃から動かしている人たちにも訪れる事なんだとつい最近気がついた。


私がヨガを教えさせていただいている、ラ・クンパルシータアルゼンチンタンゴ教室では、
ヨガを取り入れられてる。
私も遅まきながらタンゴをはじめてみて思ったことは、タンゴは非常に繊細だということ。


先生は非常にヨガや瞑想に興味を持っておられる。
熱心にタンゴへのヨガの必要性を語ってくれたことがある。
私は先生をみているとそれは美しい無駄のないスタイルの真ん中に非常に強い中心軸をみることがある。
クラスの中で「ここに一本の軸が~」とか言われると本気でその線がヒューっと見えるわけ。
先生にヨガが必用なのか?と思ったが、当時私が捕らえていたヨガとは結局
体力をつけようとか、軸を見つけるために足腰を強化しようとかそういうヨガだったので、
先生の探しているヨガとはその先の作業のことだったのかと、最近になって気がつく。
おせーな・・・またか。


先生たちの手足はもう長い長い日々の練習の中で自分のもになって何年にもなっていて、
もう繊細への道を先に歩んでるお人方なのだ。
片足から片足への体重の移動やその比率を感じる作業は、
私が小山先生のWSでひたすらやったあの体内の観察に非常に似ている。
先生がヨガや瞑想をやりたいなぁーと思ったその気持ちの流れは自然なものだったに違いない。


粘土を捏ね始めた人、繊細の道の入り口にを発見した人、もう何年も繊細の道を歩んでいる人。
クンパルってすげーね。
ま、余談になりましたけど、みんなタンゴ習ってね。


それじゃあ、瞑想の先には何があるのだ・・・
ということになるが、私はまだ粘土を捏ねて間もないし、繊細の道があることに気がついたばかり。


なぜ私はヨガヨガ言っているのか、そして何を伝えようとしているのか。
それを考えていたはずだったが、
今まで私が少なからず経験したプロセスや
Emma先生によって導かれたチャクラや、
瞑想の先の答えを教えてくれた小山先生の知識
を直接語らずとも、
なんとなくそれらを自身のヨガのクラスで感じていただければそれでいいのじゃないか?
これが今、私の知っているヨガなんですと、お伝えできればいいんじゃないか?
ヨガってなんかいいね。
と感じていただければそれでいいんじゃないか?
そして
粘土を捏ね始め、繊細の旅の入り口まで一緒に行ければそれでいいかな。
と思っている今日この頃なのです。